先週は旦那方の叔母のお別れ会がありました。
近しい方のみ20数名集まりました。
流れ的には本家(わが会社)にて、祭壇でお坊さんにおがんでもらい、そのあとお墓に行き納骨、それが終わると割烹料理屋にてお清めで終わりです。
この件の前振りは先日のブログ「叔母のお別れ会 週末気になる方がくる?」で書きました。
ぜひ、ご覧になってください。
この会には叔母の一人娘さんも夫婦でお見えになりました。
叔母は旦那の父のすぐ下の妹です。
結婚し、一女を授かりましたがそのあと体調を崩し本家に戻ってきました。
詳しい事情は分かりませんが、まだ子供が乳児だった頃にこの状態だと子育ては無理だと判断、叔母だけ実家に戻り数年間ずっと静養していました。
その間、元旦那は再婚しました。
叔母との間にできたお嬢さんを連れ、その後再婚相手との間に男児二人をもうけ暮らしていたそうです。
今回その叔母の子供であるお嬢さんとご主人が出席してくれました。
仮にお嬢さんをN子さんと呼びます。
このN子さんと叔母との交流は、N子さんにお孫さんができてからのようです。
N子さんと叔母はお中元やお歳暮、年賀状のやりとりがありました。
そして10年以上前にN子さんの自宅に招待された時はとても喜んでいたと聞いています。
なのでN子さんといた時間はほとんどなく、本家を継いだ旦那父の子供たち(旦那の兄弟で姉2人、兄1人、旦那)と過ごした時間の方だ圧倒的に長いのです。
(´⊙ω⊙`)
なので叔母の兄弟の出席プラス旦那の兄弟も出席しました。
N子さんは70歳くらいでシルバーのメガネが似合う知的な感じの方です。
旦那さんもやさしそうな方でした。
東京からお見えになり誰も会ったことがないので叔母の弟二人と旦那の兄夫婦の奥さんがお相手をしていました。
納骨まで進み、最後はお清めです。
広間を予約し料理も準備してありました。
わが家と兄夫婦はN子さん夫婦と正面に座りました。
献杯で始まった食事会です。
お酒も入り賑やかです。
今回の喪主の一番末の叔父が「突然ですが、お別れ会ということで亡くなった叔母との思い出を語っていただきます」と言ったのです。
(´⊙ω⊙`)
挙手制でまずは叔母の兄弟たちの話から始まりました。
そして今回の注目の的であるN子さんにも一言いただきました。
「今回母のお別れ会に呼んでいただき、母はこんなにたくさんの方に愛され慕われていたのかと思うととても嬉しいです。ありがとうございました。」
と言っていました。
わたしたちもこの会に来ていただいてよかったな〜と思いました。
そして旦那の兄弟の二人の姉が叔母の話を始めました。
二人の姉のうち、N子さんと同じ歳の姉が小さい時幼稚園で習ってきたお遊戯を叔母に見せるととても喜んでくれたというような話をしました。
また下の姉は「わたしが結婚し、病気で入院が決まった時、泊まりがけで二人の子供の面倒を見てくれたんです。」という話をしていてその場で号泣しだしました。
(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
その話を聞いていてN子さんも急に号泣しだしたのです。
わたしは斜め前に座ってましたが、姉二人の挨拶を聞いてから堪えきれない状態になったようです。
(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾ (´⊙ω⊙`)💦
様々な声が響くなか、前から聞こえてきたのは「もう聞いてられない、聞くのがつらい・・もう帰りたい・・・」と旦那さんに訴えるN子さんの声でした。💧
それを見て旦那も「落ち着いてください〜叔母はいつでもN子さんのことを思ってましたよ・・」と言いましたが・・・
そばにいた旦那さんが「小さい頃から育ての親元で成長した妻の苦労も知っているのでスイマセン💧」っと
それから旦那が叔母に聞いたN子さんの思いなども話したのですが・・・
「わたしが多感な頃、そばにいて欲しい母親が居なかったんです。わたしにも孫ができ、母との事情を理解しようと思ったのですが・・・(このお別れ会に出席した)」
「でもこれからは自分の孫のため生きていくことにします。」
っとキリッと知的な眼差しに戻りちゃっちゃと帰られたのデシタ。💧
確かにN子さんの立場になれば聞いていて辛いし配慮が足りませんでした。
でも故人のお別れ会の場所で思い出話となるとこうなってしまうのかと・・
m(_ _)m💦
ほんと後味の悪い終わり方になってしまいました。
(おしまい)